労働と彫塑
- 紫馥堂|SHIFUKUDO

- 7月13日
- 読了時間: 2分
2002年から約20年の間、原田僚太郎は中国のハンセン病隔離村でインフラ整備をする活動を行っていた。活動参加者(ボランティア)を募り、村人(ハンセン病快復者)と生活しながら、隔離村にトイレや水道をつくる労働をした。
2022年、原田は彫刻を始め、「触れる」という方法で展示している。この試みにおいては、過去の時間──ハンセン病快復者の身体に感じた美しさや、快復者が見せた命の形──を、もうひとつの言葉として表していく。
以下の文章は、2023年11月5日、原田が北京にある日本国大使館で行った中国語の講演『労働と彫塑』に基づいて整理したものだ(原文)。文中では、リンホウ村で彼が出会った快復者3人──蘇振権(ソウ・チンクワン)、蔡玩卿(チョワ・ワンケン)、曾繁餘(チャン・ファンウー)──とのやりとりと、そこから原田が彫刻へと向かう変化に触れている。
口述:原田僚太郎
今日は、いくつか彫刻を持ってきました。話を聞きながら、触れてみてください。声や音は立てず、ただそっと触れてみてください。
今回『労働と彫塑』という題で講演をまとめながら気づいたことがあります。僕が中国のハンセン病隔離村でしていた活動と、今やっている彫刻との間には関係があるということです。僕は、居心地のいい会議室に座ってあれこれ議論するよりも、現場に駆けつけて、快復者と一緒に暮らして、五感で直接感じる方が好きです。
2002年、大学4年のときに、初めてリンホウ村に行きました。村に行くには、真っ暗なトンネルを抜けて行きます。トンネルを抜けると、そこが広東省潮州市にあるハンセン病隔離村・リンホウ村です。1960年に設立された当初は、ハンセン病の隔離病院でした。
ハンセン病のことは、皆さんご存知ですか──
ハンセン病とは
ハンセン病は「らい菌」による慢性の感染症だ。現在では薬で治るが、かつては有効な治療法がなく、身体に変形を起こすことがあった。
らい菌は自律神経に影響し、皮膚から汗や皮脂が出なくなり、皮膚が乾燥して傷つきやすくなる。またらい菌は知覚神経を麻痺させるので、痛みを感じにくくなる。痛みを感じないと傷をうまく保護しにくくなり、傷が圧迫されやすく、治りにくい。そこに別の菌が入って化膿し、それでも痛みを感じないので、次第に傷は広く深くなっていく。